2017年07月15日

サッカー熱を呼び戻してくれた本田圭佑



私がサッカーを見るきっかけとなったのは、アトランタ五輪の予選だった。キャプテンである前園真聖が繰り出すドリブルの虜になった。前園がボールを持つと高校生だった私はワクワクした。アトランタ五輪の本大会の予選では2勝を挙げながら、得失点差で予選敗退という結果に終わるが、前園こそが日本をW杯に導く男なのだと信じて疑わなかった。アトランタ五輪後、海外移籍が駄目になり、前園は輝きを失った。トップスピードに乗ったドリブルは鳴りを潜め、ドリブルで仕掛けてもDFと接触しては、すぐに倒れてしまう光景が多くなった。





97年のフランスW杯予選。日本の司令塔として頭角を現したのはフランスW杯。中田英寿はアトランタ五輪の予選で召集され、怪我の小倉の代役としてスタメンで試合にでるようになった。当時は前園の弟分であったが、アトランタ五輪の試合を見ても、ナイジェリア戦で見せた城へのラストパスは、解説の木村和司を思わず唸ってしまうぐらい、相手のDFラインを崩壊させる完璧なパス。今、見返すと中田の非凡なセンスが分かるのですが、当時は前園のインパクトが強すぎて、影に隠れるような存在であったことは確かです。






前園と入れ替わるような形で日本代表の司令塔に定着した中田英寿。W杯を決めたイラン戦での活躍。フランスW杯で見せたプレーでセリエAのペルージャへ移籍。デビュー戦でのユベントスで2ゴール。その後は名門ローマへ移籍と着々とステップアップしていった。


当時、世界最高峰のセリエAで活躍する中田英寿の輝きは前園以上の物だった。ファッションをマネするヒデラーと呼ばれる人が増え、私も中田英寿に感化された一人であった。中田英寿の書物を読み漁り、ファッションをマネすることで中田英寿に近づける気がした。


中田英寿のエピソードで覚えているのがユース時代の話。U−20日本代表に呼ばれた中田は語学が堪能で、海外遠征時は英語で話すことは問題がなかった。確か海外のレストランで中田が英語で注文するのを見た同僚が、「俺たちの分も次いで注文してくれ」と、頼んだ。中田は「君たちの為に英語を勉強しているのではない」と、ぴしゃりと断ったエピソードがある。そんな中田についたあだ名は「ロンリーウルフ」だった。そんな記事を見て、一匹狼の中田英寿は格好いいと中二病に侵されたのです。





中田英寿のキャリアハイはペルージャー〜ローマ時代だと思っている。2002年の日韓W杯で得点を決めて予選を勝ち抜いたが、何か物足りなかった。


海外のトップリーグで活躍しているのは中田英寿だけでだったのが関係している。中田が年を重ねるごとにチームメイトと軋轢を生むような発言が見受けられた。その軋轢は2006年のドイツW杯で浮彫になり、黄金の中盤、日本代表歴代最強チームと謳われたジーコジャパンは1勝もすることがなく予選敗退。W杯終了とともに中田英寿も引退を表明した。


中田が引退してからは日本代表の試合を見ることが少なくなった。中田英寿の引退で、私のサッカー熱も冷めたのです。もう、中田英寿のような選手は当分は出てこないだろうと。


しかし、4年後の南アフリカW杯で本田圭祐に魅了されることになる。私は本田の名古屋グランパス、オランダ時代を知らない。


知っているのは2010年からの本田のプレー。


本田んは、前園のようなトップスピードに乗ったドリブルでDFを交わして得点を決めるような派手さはない。前園真聖と中田英寿。どちらに近いかというと、中田英寿に近い存在である。奇抜なファッション、チームメイトへの厳しい言動。


中田英寿が引退してこんなにも早く、中田に続くプレイヤーが出ると思わなかった。







ブレ玉と呼ばれるフリーキック。ここぞとばかりに決める得点能力。得点能力だけを見れば、中田英寿以上である。


そんな本田もビッククラブのACミランでは活躍できなかった。6月末で契約は終了して、本田の生末を心配していたのです。


本田の移籍先はどこだろう。スペイン? アメリカ? Jリーグ?


色んな憶測が飛んでいる中で、自身のインスタグラムとツイッターで、メキシコの名門パチューカに移籍することを発表した。


メキシコリーグのレベル、パチューカというチームのことは知らない。知っているのはシドニー五輪代表だった福田健二が在籍したチームであること。今年4月、北中米カリブ海チャンピオンズリーグで5度目の優勝を果たし、12月にUAEで開催されるクラブワールドカップ(W杯)の出場権を得ている。クラブW杯には過去3度出場し、2006年には3位決定戦でG大阪に0―1で敗れていることぐらい。


ロシアW杯が本田が出場できる最後のW杯になるだろう。ロシアW杯で有終の美を飾る為にも、メキシコリーグのパチューカでどういった活躍をするか期待している。



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posted by トモ at 00:36| Comment(2) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月13日

現役を引退する服部年宏選手の凄さ

ジュビロ磐田の黄金期を支えた服部年宏が現役を引退する。ジュビロ黄金期の藤田、名波、福西、服部の中盤が好きだった。



フランス、日韓W杯のメンバーに選ばれましたが、服部選手で一番印象に残っているのはアトランタ五輪です。


前園選手がキャプテンでスポットライトが当たっていたが、服部選手が副キャプテンだったことはあまり知られていない。


マイアミの奇跡と呼ばれたブラジル戦。川口選手のファインセーブや伊東選手のゴールは何度も映像として放送された。


「川口のファインセーブ凄いな」「伊東がよく走った」とか言われたりしましたが、勝った要因の一つとして、ブラジル代表の10番であるジュニーニョに仕事をさせなかったのが大きい。



セレソンでもあるジュニーニョに仕事をさせなかったのは、服部選手。


ジュニーニョが自由にプレーしていたらブラジルの攻撃チャンスはもっと増えていて1−0で勝利することもなかったかも知れない。


今でこそ遠藤や長谷部のプレーが紹介されますが、アトランタ五輪時はゴールを取ったFW、ラストパスを出したMFばかりにスポットライトが当たり、服部選手等のDF陣のプレーはあまり紹介されなかったので、服部選手の仕事の良さが分かる人は少なかった。





カズが落選して凄くショックでしたが、98年フランスW杯のメンバーに服部が選ばれた時は、これでアルゼンチン代表のオルテガは封じ込めれると期待しました。



ジュニーニョに仕事をさせなかった男だからオルテガも仕事ができないと。


しかし、私の思いとは裏腹に服部選手は1試合も出場することがなく、フランスW杯は3戦全敗した。服部を使わないのであれば、カズを外さなくても良かったんじゃないか。


アトランタ五輪時は紹介されることが多かった前園、中田、城が先に引退しましたが、20年もプレーした服部選手はやっぱりいい選手だったと思う。




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posted by トモ at 01:15| Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする