妻になんで、私と結婚したのか聞きたいところでしたが、照れがあって聞けませんでした。
そのかわり、「介護職に転職して、お金がない貧乏生活でよく、遣り繰りしてくれたね。ありがとう。」と、感謝の気持ちを伝えました。
妻から返ってきた言葉は?「苦労だと思ったことがない」でした。
営業職の時と比べると、介護職に転職した時は月収10万以上下がっているのにも関わらず、なんで? と思ったのですが、妻から言わせると、「若い時はお金がないのが当たり前、ある方がおかしいやろ」と、言ってました。
営業職の時、帰宅は0時前で、帰宅してもご飯食べて、風呂に入ってすぐに就寝する生活でした。もしかすると妻は、介護職に転職して月収が10万以上下がっても、家族と過ごす時間の方が大切だったのかもしれません。
早出の時なんて夕方の4時半には帰宅してましたから。
お金はあるけど、家族と過ごす時間がない。お金はないけど、家族と過ごす時間はある。妻は後者の方が良かったのかもしれません。
私が小学校の時に父は市の財政局で働いていました。その時、父の年齢は40前くらいだったと、記憶しているのですが、帰りは毎日、深夜。
当時は週休2日制ではなかったので、月曜〜土曜までビッシリ働き、日曜日も会社に行っていた記憶があります。
子供心に父親に「なんで、そんなに会社に行くの?」って聞いたことがあるんです。父親が得意げに「財政局っていうのは、国でいう大蔵省みたいなところや。」と言っていたことをおぼろげに覚えています。
要は、仕事のできる人しか働けないと言いたかったんだろうけど、子供の私は大蔵省がどういうところか解らなかったので、「ふーん」てな感じで聞き流しました。
父親が財政局で働いていた時は、子供3人いるのに母子家庭状態でした。父親の仕事が忙しくて、キャッチボールも母がしてくれていました。下の二人はまだ幼稚園とかだったので、記憶に残ってはいないと思いますが、なんかつまんなかったのです。
財政局で働いた功績かどうかは分かりませんが、公務員として出世してそれなりの生活をしています。
でも、私の場合は父親と立場が違います。長男は自閉症という障がいがあります。
自分の父親みたいに仕事優先ではなく、長男中心の生活になります。妻は仕事より家族と居る時間を大切にしてほしいんじゃないかなって思います。
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