2015年11月27日

買いたくても買えないのです




漫才コンビ・千鳥のノブが24日深夜のABC「雨上がりのやまとナゼ?しこ」のスペシャル「雨上がりのAさんの話〜事情通に聞きました!」に出演し、芸人の厳しいローン審査の現状について赤裸々に語った。3年前に大阪市内に3LDK3900万円の新築マンションを購入。だがなかなかローンが組めず「ワシらゴミやぞ」と後輩に愚痴った日々も。それでも銀行を15行ほど回り、ようやく月々11万円の35年返済が決まったという。(Yahooニュース)





芸能人の場合はレギュラー番組の数、番組で司会しているのか、番組が何年続いているのかなどが審査の対象になるのですね。千鳥クラスでも借りるのに苦労したと知ってびっくりしました。



私の場合、前職の施設長時代に銀行3行の住宅ローン説明会に行きました。勤続年数が短いので、一番借りれるとこで2200万ぐらいでした。その時は大阪市内に住んでいたので、2500万だったら新築は無理で中古物件。それも築年数15年とかになるので、断念しました。今は転職した関係で保証人がいないと無理ですけどね。



仕事が安定しない限りは、家を持つことはできない。これから先も賃貸生活が続きそうです。





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posted by トモ at 23:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

両親と同居を考えた



介護に転職したての頃は意識が低い人間でした。



今も低いですけど・・・・



今以上に低かったのです。要は介護の仕事を舐めてたんですよね。



あ〜、仕事が楽やわって。



給料は低いですけど、営業職に比べたら断然早く帰れるし、時給に直したら1500円ぐらいだったら割合っていると。



そんな駄目人間だったので、介護を熱く語る人が苦手でした。




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夜勤をしても20万に満たない給料。家賃も8万だったし、女性職員からは生活を心配されていました。今も駄目人間ですけど、当時はもっと駄目人間でしたから、「人の心配するよりテメーの心配しろよ」と毒づいてました。



ぶっちゃけ逃げ道を用意してたんです。子供が大きくなって生活が苦しくなれば、実家で両親と同居しようと。家賃も浮くし、長男の私が帰ると両親も喜ぶだろうと。



私が言うのもなんですが、父親はかなりの人格者です。母はおしゃべり好きな専業主婦なんですが、父親は公務員として40年勤めあげた人。(鉛筆削り参照)下二人の兄弟は少なからず父親の真面目な性格の血をひいているのですが、私と父は正反対。学生時代は水と油ぐらい相性が悪かったです。



でも、結婚して二人の子供を持って、父親の大変さを知りましたね。息子二人が私みたいな子供だったらゾッとするし、子供の私を歯痒く思っていた父親の気持が手に取るように分かる。



一人暮らしを始める時に父親に「一旗揚げるから」と、捨て台詞を吐きました。人によって「一旗揚げる」の意味は違うと思いますが、ある程度の人間になって両親と同居したいですね。





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タグ:介護 意識 同居
posted by トモ at 16:41| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月26日

後悔ばかりの人生を変えたい



仕事をコロコロ変えたり、お金に困る人生から抜け出したい。




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私の場合は、仕事が安定しないから貧乏から抜け出せないのは一目瞭然。



何故、コロコロ仕事を変えてしまうのか?



転職する人の多くに見受けられる特徴として次の5つが上げられる。



やる気がない。
忍耐力がない。
自分勝手な行動をしている。
協調性がない。
やることやっていないのに言い訳ばかりしている。





協調性がない以外の4つが当てはまります。一番当てはまるのは忍耐力がないですね。



20代前半は、自分の営業力に過信して、上司に少し言われただけで仕事を辞めていた。いい訳が上手くて、常に楽な道を選択した。



そのツケが今に来ている。



私がケーブルテレビの営業時代に40万の給料を貰ったのは2004年。24歳で月収40万円ということを父親に自慢したな。



冷静に振り返ると、私に営業力があったのではなく、時代がナローバンドからブロードバンドへの転換期の時流に乗っただけだと思います。



定額制、高速インターネットをウリにダイヤルアップやISDNのお客さんから契約を取りまくった。当時はYahooBBという低料金のADSLがライバルだったが、営業成績は右肩上がりだった。



たまに思うのです。あのまま続けていたらどうなってたのか?



施設長を辞めて転職した今もそう。ぶっちゃけ、後悔だけしかない。




施設長を辞めると決めた時に読者の方から頑張ってみてはどうかと、アドバイスを貰いました。私は聞く耳持たず、我が道を歩むとばかりに施設長というポジションから逃げた結果なのです。



後悔しない人生を歩みたい。自分の決断は間違っていなかったと言えるようにしたい。




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posted by トモ at 21:28| Comment(2) | TrackBack(0) | ワーキングプア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする